最終更新: ohayo_rabbit 2022年06月16日(木) 14:30:23履歴
「俺の我慢も12歳までだ!!!!」
「私は信越本線。あなたの未来を見守ります」
「…………大人は嫌いなんですよ。俺から奪っていくから」
開業日 | 1885年10月15日 |
路線区間 | 高崎〜横川、篠ノ井〜長野、直江津〜新潟 |
距離 | 29.7km、9.3km、136.3km |
身長 | 172cm |
体重 | 70kg |
水色の学ラン、ストライプ柄マフラーを巻いた黒髪の青年。
前髪は左側で分けており、左目に泣き黒子がある。
国鉄時代(戦後直後まで)は本線の証であるダブルボタンと黒詰襟で、白いマフラーを巻き、他の本線同様帯刀していた。
前髪は左側で分けており、左目に泣き黒子がある。
国鉄時代(戦後直後まで)は本線の証であるダブルボタンと黒詰襟で、白いマフラーを巻き、他の本線同様帯刀していた。
子供に並々ならぬ情熱を注ぐ重度の変態。
長野新幹線が北陸新幹線に成長してしまうのを人一倍残念に思っていた。
碓氷峠を力技で越えたことを誇りに思っているため、碓氷峠を廃線に追い込んだ北陸新幹線への思いは成長共々複雑に思っている。が、何回かの衝突を経てある程度相互理解はできたようだ。*1
そして子供好きになる元凶となった育ての親、北陸本線については消えていくことを止めたくても何もできないこと等、複雑すぎる感情を抱いている。北陸本線に度々反抗する一方、今でも「敦賀」と呼び憧れを持っている。*2
何度も挫折を味わい、北陸本線が消えていく道筋が全て人間のせいであるため、人間を嫌っている。*3
新潟最古参の本線。おちゃらけているようで芯は真面目で純粋。*4 自然と在来のムードメーカー的役割を負っている。
一方、変態の暴走が多々あるため、新潟の他路線があらゆる手段で止めている。
雪の中でも走れる上越新幹線を敬愛しつつ、時々けなしているのは新潟在来共通である。
群馬では高崎線に性癖を心配されている。*5
好きな食べ物は天ぷらそば。*6
※最近は商業同人において変態設定を出していない。*7
長野新幹線が北陸新幹線に成長してしまうのを人一倍残念に思っていた。
碓氷峠を力技で越えたことを誇りに思っているため、碓氷峠を廃線に追い込んだ北陸新幹線への思いは成長共々複雑に思っている。が、何回かの衝突を経てある程度相互理解はできたようだ。*1
そして子供好きになる元凶となった育ての親、北陸本線については消えていくことを止めたくても何もできないこと等、複雑すぎる感情を抱いている。北陸本線に度々反抗する一方、今でも「敦賀」と呼び憧れを持っている。*2
何度も挫折を味わい、北陸本線が消えていく道筋が全て人間のせいであるため、人間を嫌っている。*3
新潟最古参の本線。おちゃらけているようで芯は真面目で純粋。*4 自然と在来のムードメーカー的役割を負っている。
一方、変態の暴走が多々あるため、新潟の他路線があらゆる手段で止めている。
雪の中でも走れる上越新幹線を敬愛しつつ、時々けなしているのは新潟在来共通である。
群馬では高崎線に性癖を心配されている。*5
好きな食べ物は天ぷらそば。*6
※最近は商業同人において変態設定を出していない。*7
マフラーの柄は時期により変遷があり、主に3種類。
白マフラーは元々北陸本線のもの。直江津から信越に名前が変わった頃に北陸本線から渡された。*8あれからずっとマフラーをし続けている。
ちなみに戦闘に本気を出す時は外す。*9
その後、ピンク・緑・白のストライプ柄を着用し始める。柄は横ストライプから縦ストライプに変えた。*10
横ストライプのマフラーは北陸新幹線延伸開業直前、北陸新幹線へ渡したからである。*11
ストライプの配色は107系の車体カラーから取ったもの。お気に入りの色とのこと。
107系引退時、別の模様にしようか悩んだが、結局同じマフラーを愛用している。*12
他にも何種類かマフラーを持っており、その日の気分で変えることもある。
また、ちょうちょ結び*13等、巻き方も変える時がある。
真夏でもマフラーを欠かさないのは、子供が興味を持って話しかけてきてくれるかもしれないからと答えている。*14
なお、真夏の新潟の社内(ホーム)ではマフラーをせず、シャツ姿であることが多い。*15
白マフラーは元々北陸本線のもの。直江津から信越に名前が変わった頃に北陸本線から渡された。*8あれからずっとマフラーをし続けている。
ちなみに戦闘に本気を出す時は外す。*9
その後、ピンク・緑・白のストライプ柄を着用し始める。柄は横ストライプから縦ストライプに変えた。*10
横ストライプのマフラーは北陸新幹線延伸開業直前、北陸新幹線へ渡したからである。*11
ストライプの配色は107系の車体カラーから取ったもの。お気に入りの色とのこと。
107系引退時、別の模様にしようか悩んだが、結局同じマフラーを愛用している。*12
他にも何種類かマフラーを持っており、その日の気分で変えることもある。
また、ちょうちょ結び*13等、巻き方も変える時がある。
真夏でもマフラーを欠かさないのは、子供が興味を持って話しかけてきてくれるかもしれないからと答えている。*14
なお、真夏の新潟の社内(ホーム)ではマフラーをせず、シャツ姿であることが多い。*15
信越線の子供のころの姿。東海道線がたくさんの新路線の面倒を見切れず、敦賀線に預けられた。
当時はまだ中山道幹線計画が残っていた。それまでの東海道線の教育で、自身が東京と大阪を結ぶ重要幹線になると思っており、敬語だが大口を叩く子供だった。
その後、中山道幹線の計画は無くなり、聞いていたことと違う現実や敦賀線の子育てに問題があった(主に「人間性が欠落していた」)関係で、心に深い傷を負うことになる。
直江津線に「ごめんね」としか言わなかった敦賀線。その言葉は「大人は汚い」という概念を植え付けた。*24
しかし北陸本線との思い出は何より大切なもので、北陸本線の弟である北陸新幹線にわざわざ「敦賀線」という呼び名を使って牽制するほどである。*25
当時はまだ中山道幹線計画が残っていた。それまでの東海道線の教育で、自身が東京と大阪を結ぶ重要幹線になると思っており、敬語だが大口を叩く子供だった。
その後、中山道幹線の計画は無くなり、聞いていたことと違う現実や敦賀線の子育てに問題があった(主に「人間性が欠落していた」)関係で、心に深い傷を負うことになる。
直江津線に「ごめんね」としか言わなかった敦賀線。その言葉は「大人は汚い」という概念を植え付けた。*24
しかし北陸本線との思い出は何より大切なもので、北陸本線の弟である北陸新幹線にわざわざ「敦賀線」という呼び名を使って牽制するほどである。*25
コメントをかく