ここでは実在の西武大宮線について、略歴を簡単に示します。
川越の財界人主導で開業に至った、川越と大宮を繋ぐ路面電車。開業当初は「川越電気鉄道」という名前だった。
西武鉄道の廃線を含めた営業路線の中で、
西武国分寺線に次ぐ2番目に古い歴史を持つ路線。*1 また、西武で唯一の馬車軌路線である。
1906年(明治39年)4月16日に開業。埼玉県で初めての電車であり、川越電気鉄道時代は電灯電力事業も行い県内初の電灯供給事業者でもある。
大宮駅においても初めての電車で、
高崎線・
宇都宮線(東北本線)がまだ日本鉄道だった頃に大宮駅で営業していた唯一の他社路線。
電気事業拡大に伴い設立された自社の関連会社である武蔵水電の所属となった後、1920年に武蔵水電が川越鉄道を合併したことにより川越東線となる。
その後武蔵水電の更なる合併や鉄道事業分社化などを経て、1922年に「西武鉄道大宮線」となり川越の名を失った。
開業時の敷設工事は旧陸軍の鉄道連隊が行った。しかし軌道の地固めが不十分だったために電車の揺れや脱線事故が多発することとなったが、
資金不足や1927年に発生した車庫火災等の影響により整備が進むことはなかった。
整備の進まない大宮線の状況に業を煮やした地元民等が1927年に省線誘致運動を開始。更に1931年の脱線に伴う乗客死亡事故を切欠に地元の利用客等がより安全なバス運行要求を起こす。
それを受けて(旧)西武鉄道は代替バスの運行も行った。
誘致運動と軍事目的の利害が一致して1940年7月に
省線川越線が開業したことに伴い、同年12月に全線休止、翌年廃線となった。
廃線後も暫くは起点の川越久保町駅の駅舎や車庫は残されたままだったが後年それらも取り壊され、西武大宮線の遺構は現在ほぼ残っていない。
だが、川越久保町駅跡の隣接地には現在「東京電力パワーグリッド川越支社」が存在しており、この支社のルーツを辿ると東京電力・東京電灯・帝国電燈を経て
武蔵水電そして川越電気鉄道に辿りつくことができ、この電力支社がこの地に現在もあること自体が川越電気鉄道の最大かつ貴重な遺産といえる。
なお、(旧)西武鉄道は会社(法人)としては西武大宮線がルーツの会社である。
(法人は川越電気鉄道→武蔵水電→武蔵鉄道→(旧)西武鉄道、という流れで推移している)
実在の西武大宮線の歴史の詳細は以下に記載されていますので、必要に応じて参照してください。
西武大宮線 - Wikipedia