編集日時:2021年02月11日(木) 15:45:04履歴
「大変だ高崎 架線が切れたよ」
「貴様に俺の何が解る」
開業日 | 1883年7月28日、1885年7月16日(大宮〜宇都宮間) |
路線区間 | 東京〜盛岡 |
距離 | 535.3km |
身長 | 186cm |
体重 | 75kg |
オレンジの学ランを着た高身長で黒髪の青年。
前髪を右で分けており、高崎線と対になっている。
国鉄時代(戦後直後まで)はダブルボタンの詰襟で帯刀していた。
日本鉄道の頃はダブルボタンの黒詰襟、腰に革ベルトの制服だったようだ。
前髪を右で分けており、高崎線と対になっている。
国鉄時代(戦後直後まで)はダブルボタンの詰襟で帯刀していた。
日本鉄道の頃はダブルボタンの黒詰襟、腰に革ベルトの制服だったようだ。
いつも笑顔だが態度がでかく嫌味が多い。
よく高崎線に金を貸したり仕事を代わりにやってあげたりして、ポイントを貯めている。そのポイントが貯まるとどうなるか高崎は知らない。
甘党で粒あん派。
国鉄時代は今と違ってきつい性格だった。本人なりの本線としての立ち居振る舞いである。
高崎線曰く「本線様は八戸駅よりも冷たい」と地方で評価されていたらしい。
高崎線との和解以降は少しマイルドになったが、民営化後、宇都宮線の愛称が付く頃まで(候補生11番以外には*1)嫌味を言わない無表情で冷ややかな性格であった*2*3。
昔から理不尽に振り回されている。
その理不尽からいろんなものを守るため、二区時代が終わってから100年以上、「あの時」以外は素の自分を隠し続けている。これからも隠し続けるだろう。
なお、今の「嫌味笑顔」な性格になった時期と理由は未だ明かされていない。
よく高崎線に金を貸したり仕事を代わりにやってあげたりして、ポイントを貯めている。そのポイントが貯まるとどうなるか高崎は知らない。
甘党で粒あん派。
国鉄時代は今と違ってきつい性格だった。本人なりの本線としての立ち居振る舞いである。
高崎線曰く「本線様は八戸駅よりも冷たい」と地方で評価されていたらしい。
高崎線との和解以降は少しマイルドになったが、民営化後、宇都宮線の愛称が付く頃まで(候補生11番以外には*1)嫌味を言わない無表情で冷ややかな性格であった*2*3。
昔から理不尽に振り回されている。
その理不尽からいろんなものを守るため、二区時代が終わってから100年以上、「あの時」以外は素の自分を隠し続けている。これからも隠し続けるだろう。
なお、今の「嫌味笑顔」な性格になった時期と理由は未だ明かされていない。
初めての同人誌「東武線のダイヤ改正は本当に酷い」で東武伊勢崎線、東武日光線以外に登場する「青鉄最古参のキャラ」の路線。
伊勢崎線から乗客を奪っていることから嫌味キャラとして確立した。
伊勢崎線から乗客を奪っていることから嫌味キャラとして確立した。
長距離の路線は、その地方ごとにラインカラーを持つ場合がある。その場合には複数色の制服を持っている。
東北本線は東京〜黒磯はオレンジ、黒磯〜盛岡は緑のラインカラーである。
そのため、彼はオレンジと緑の制服を所持している。
東北本線は東京〜黒磯はオレンジ、黒磯〜盛岡は緑のラインカラーである。
そのため、彼はオレンジと緑の制服を所持している。
高崎線が最初に開業しているため、もともと上野〜大宮間は高崎線のものだった。
しかし当初の計画に基づき、上野〜大宮間は東北本線のものとなる。
これ以上は「尾久駅ふたりぼっち」と「ユアインサイドミー」を読んでほしい。
(いろいろと濃過ぎて書ききれません)
しかし当初の計画に基づき、上野〜大宮間は東北本線のものとなる。
これ以上は「尾久駅ふたりぼっち」と「ユアインサイドミー」を読んでほしい。
(いろいろと濃過ぎて書ききれません)
青春氏の別作品「残念、ここは世界の裏側です(以下、ここ裏)」には宇都宮線とよく似た上野聡というキャラクターが登場する。
ここ裏2巻の発売記念ペーパーでは、宇都宮線と上野隆(高崎線とよく似たここ裏のキャラ)が会話する四コマを見ることができる。
また、ここ裏と青春鉄道の単行本を買って応募で入手できたコラボマンガが存在している。
ここ裏2巻の発売記念ペーパーでは、宇都宮線と上野隆(高崎線とよく似たここ裏のキャラ)が会話する四コマを見ることができる。
また、ここ裏と青春鉄道の単行本を買って応募で入手できたコラボマンガが存在している。
- UTL(東海道線+宇都宮線(東北本線)+高崎線+常磐線)
- SSL(東海道線+宇都宮線(東北本線)+高崎線+横須賀線)